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その後、24歳の時になんとなくカリフォルニア大学バークレー校のMBAコースに入学した。結局、ピーター・ヨネナガ氏は1年半で全コースを消化した。結局7歳から15歳まで、18歳から27歳まで17年間をアメリカで過ごし、アメリカ人として日本に帰ってきた。 「大学院時代にすでに会社を起こしていて、この段階では、これから何をやろうとか、自分が将来どうなるのだろうかなどということは考えたこともなかったです。とりあえず会社の株式を売り払って日本で何をしようかは考えていませんでした」 当時、すでに27歳で、普通なら何とか安定軌道に人生をのせようとあがき始めそうな年齢である。しかし彼は、まだはたからみれば、自由な生き方をしていた。 たとえば、この頃は韓国で韓国語を学ぼうと思いソウルに長期滞在している。 「韓国の大学院で韓国語を勉強しようと手続きをすませ、韓国で学生ビザが下りるのを待ちました。でも、待てど暮らせどビザが下りないので、そのうち日本に帰ることになりました。今度は日本で学生ビザが下りるのを気長に待っていました」 その後のストーリーがこれまたおもしろい、ピーター・ヨネナガ氏らしい。 8月に帰国して、9月、10月になってもビザが来ない。韓国の大学からは、いったいいつ入学するのか、聞いてくる。そこで、ピーター・ヨネナガ氏はとにかく行ってしまえ、そうすればなんとかなる、と思ったそうだ。11月に羽田から飛び立ってソウルへ向かった。 しかし、ビザの壁だけはいかんともしがたい。とにかくノービザではレジデントとしては入国できないので観光ビザで入国して3日でUターンをよぎなくされてしまったのだ。実は韓国の大学院のビザはその後すぐに下りたのだが、手違いのためピーター・ヨネナガ氏の手元には届かなかったらしい。ビザは下りてから6カ月以内に入国しないと無効になってしまい、再申請をしなければならなかった。 その後、生まれ故郷の札幌市内で、大手英会話スクールの講師の職を見つけた。日本の大学を卒業していないピーター・ヨネナガ氏が、簡単に入社できる時代でもなかった。ましてや札幌という極めて支店経済がメインな環境下であればなおさらのことだ、ということもあるが、ピーター・ヨネナガ氏自身の中にも、日本の組織に入っていこう、という気持ちはゼロだったという。 10代でアメリカ留学、20代でアメリカ国籍を取得し、会社を起業。風で吹かれるまま、といったように自然体で生きてきた。それが後のAtlasマンツーマン英会話を生む原動力となっていく。 「本当はスーツも着たくないし、ネクタイもしめたくないんですよ」 そんなピーター・ヨネナガ氏の自宅には、札幌に住んでいたアメリカ人やカナダ人の友人が居着くようになった。それから自宅で英語を近所の人に教えることになったのだ。 |
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ピーター・ヨネナガの20年にも及ぶアメリカ生活 |
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なぜ多くの日本人は英語を話せないのか? |