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2.「英語がペラペラだとカッコいい?」

なんでもかんでも「カッコいい」という一言で片づけてしまう今の言語貧困化の風潮も苦々しいですが、例えば、料理のできる男の人って「カッコいいですね」。テレビ番組で障害者にダンスをさせて「君たち、カッコよかったよ」、そして、英語ができるということをただ「カッコいい」と理解できない言葉を連発させているのが現実です。

「ねえ、知ってる?営業部の山本さんねえ、英語ペラペラなんだよ」
「ホント?すごぉ~い!」
「ほら。鈴木君、海外支店勤務でアメリカ人のデビッドさんとジョークを言いあって笑ってるの」
「わあ。そこまでくると本物ね、いいなー」
「でもねえ、主張すべきところは『そこはちがう、ノー』って毅然としていえるのよ」
「キャー、カッコいい」

このようなバカな会話があなたの周囲で交わされていないでしょうか?日本人の植民地的な英語熱の本質を示していていかにも軽薄そのものが表れています。

ここで、英語を宝石のような、誰もが羨む「カッコいい」ことの証明であるかのような自分のアクセサリーとしてしか考えていないこの種の人間を私たちは、「英語バカ」と命名しています。そんなことだから、英語がしゃべれる私(俺)って、さぞかし「カッコいい」だろうな、と思う英語バカが次から次へと湧き出てくる一方、何の必要もないのに英語がしゃべれないことが「カッコわるい」と思う者もいます。

かと思うと、何の関係もないのに、「なんだあいつ、英語ができることを鼻にかけやがって」と嫉妬する者もいます。この種の人間もまた「英語バカ」と呼ぶことにします。

今から20年ほど前、数ヵ月アメリカ短期留学に行った当時の友人の一人は、日本に帰ってくると「私に付き合え」と言い、どこにいくのかと思えば大手英会話スクールに行き、その受付で「I want to speak English」みたいなことを話して、それだけで出てきました。

こいつはバカかと思いましたが「そうか、こいつは私に英語ができるところを見せたかったのか」と分かったのです。当然、すぐに友人関係は解消しましたが、昔から日本という国では英語が少しでもできるということは誰もが嬉しいことのようです。

そして、そのことを誰かに知らせて、「大したものだなあ」、と思われたいようです。こんな状況は現在でも改善されているとは到底思われません。「英語が話せたらカッコいい」というように、相も変わらずの軽薄さが続いています。

もちろん英語に限らず、外国語が話せるのは良いことです。無条件に良いといって良いかは分かりませんが、そのまま一生話す機会がなければ宝の持ち腐れになる可能性もあります。それでも話せて悪いという理由はまったくありません。

しかし、英語が話せると分かると、特に女性たちが即座に「すっごーい」とか「カッコいい」というのは一体何なのでしょうか?男性たちが「カッコつけやがって」と妬むのはなぜでしょうか?また、少し英語が話せる人が、「どう?英語しゃべれる俺!」と内心得意になっているのはなぜでしょうか?「そんなものはどうでもいいんだ」と黙殺する者もいますが、内心気にしているのはなぜでしょうか?「英語なんか通訳を雇ったり、Google翻訳を使えばいいんだ」、とふんぞりかえっているのは何でしょうか?

この「劣等感」と「優越感」の構図がいかにも見苦しいのが多くの日本人の特徴です。カッコいいどころか、人として果てしなく不細工に見えてきます。しかし、この構図は、いかにも浮ついた現代の日本人の真実でもあります。自分が欲しいのではなく、人が欲しがっているものを自分も欲しいというようなことを言うのは簡単ですが、多くの日本人の根は深いのが分かります。英語ができることは「カッコいい」。それは、アメリカ人は「カッコいい」になるのです。さらに、アメリカ人が「カッコいい」は、欧米人は「カッコいい」にもなるという論理が展開されてしまっています。

今の若い日本人には、白人コンプレックスや西洋文明コンプレックスはないといわれていますが、そんなことはありません。劣等感がるのは見て分かります。未だに「英語はカッコいい」は「日本語はダサい」になりかねません。そして、「日本語はダサい」は「日本人はダサい」になりかねません。けれど、その日本人に比べるなら、「アジア人はもっとダサい」ということになりかねません。

口に出してはっきり言うことはありませんが、本心はそうなのではないでしょうか。「カッコいい」か、「ダサい」か。それだけが現代日本の価値観の唯一の基準のように思えてきます。「金持ちはカッコよく」、「貧乏人はダサい」。そして「英語はカッコよく」、「日本語はダサい」というわけです。

西洋人はやはり「カッコよく」、日本人はやはり「ダサい」。日本人の英語熱、英語コンプレックスは、そこに根を張っているように思います。なぜなら、日本に住んで見ていると、そう考える以外に考えようがないからです。

仕事で英語が必要だというのなら英語を学ぶのは当然です。「英語が好きだから英語を使う仕事をしたい」、という欲求も分からないでもないですが、「英語が好き」というのがそもそも理解しがたく、絵が好きだから絵描きになりたい、というのと同じといえば同じなのかもしれません。

英語ができれば就職に有利、選択の幅も広がる、というのもやはりそれはそれで正しく結構なことです。しかし、そうではない人間がいます。英語など好きでも必要でもない、ただ「カッコいい」ことのひとつの記号としての英語に乗っかって、自分が「カッコいい」と思え、人からも「カッコいい」と思われたい、という根性の持ち主たちです。中には、それを見て妬む人もいます。何の必要もないのに、名の知れた大手英会話スクールに通い、そこから落ちこぼれたと悩み人間も大勢います。

これをすべてひっくるめて、私たちAtlasでは、「英語バカ」と呼んでいます。