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29.見ている風景がヒトと人によって全然違う

優れた指導者が必ずしも良い教師ではないのです。指導的立場になれば悪いお手本になってはいけないのですが、ほとんどの場合、悪いお手本になって失脚します。指導的立場に完璧を求めるのは脳に埋め込まれた錯覚です。

学校の教師が変態行為で逮捕されると、教師ではない隠れ変態も一緒になって眉をひそめます。立派な指導者は完全超越した非の打ち所のない人格者でなければいけないなんて、土台無理な話なのです。ボーッとした普通の人間は得てしてそれを求め、そうでないと激怒します。

そんな繰り返しは時間の無駄です。私は大学生の頃、理想的な教師と出会うことができました。ごく短い間だったが、一緒に時間を過ごしました。それは、歴史や政治、経済のことを議論することでした。その人物は大学の非常勤講師であり、私はいわば弟子のような立場でした。

当時、私は目は開いていても何も見えない人間でした。耳も聴こえていても何も聞いていません。意識はありましたが厚いベールに覆われていたように思います。

先生は私に言いました。何でもいいから、面白い歴史書を図書館で探して持って来い、と。そこで何百冊も読んでは気にいった記事をコピーし、ノートに貼り付ける。無言で単調な作業をただひたすら繰り返しました。

すると、だんだんわかってくるのです。ある日、記事を貼りつけたノートを見せると、先生は何が面白かったのか、何に興味を引かれたのか。「この記事の背景には誰がいる?」と言うのです。「良い、悪いではなく、君の目は見開いているのか?」、と。

また、しばらく淡々と記事をノートに貼り付けました。当時、私は高校生でしたが高校には通わず、隣にあった付属の大学の図書館に通い続けました。とは言っても、所詮高校生の身分なので授業を受けないと卒業できないのですが、そこは校長に直談判し、大学の一般教養の授業を受けることで許しをもらっていたのです。

先生は、こうしなさい、ああしないさとは一切言いませんでした。課題のように何らかのレールをあてがうこともしませんでした。視覚を通して本に物理世界を眺めるというのは、普通の認識レベルでは何が面白いのかまったく伝わりません。

本でも雑誌でも新聞でも活字には思い出が残ります。しかし、それすら漫然と活字を追うだけではいけないのです。かといって、省略したり、自分勝手にストーリーを演出をしても意味はありません。19世紀の経済書や歴史書、金融史というモノに心引かれてばかりいました。

ある日、ある本から何でもない風景が視界に入りました。かなり無意識に読んでいくと何百枚もある写真の中に、何でもない風景が1枚だけありました。先生ははふと目を止めましたが、何も言いませんでした。

彼は彼自身の論文を命がけで書いています。大学の先生という仕事はかなり忙しいのです。たまに先生の研究室でノートを見てくれましたが、毎日いるわけではありません。いても研究室に籠もりっきりで論文を書いているのです。

そろそろ一年が経とうとしていた頃、彼はノートを眺めながら、何が見えたかについて、サラっと言いました。私の目が少しは開いて来たことを認めてくれたのです。しかし、評論はなく、誉めもしませんでした。

その年、高校3年生の3月期を前に私はアメリカの大学に行くことになりました。紆余曲折を経て、在学中の21歳の時、サンフランシスコ・ベイエイリアを中心に貿易関係の会社を立ち上げ、しばらく仕事をしましたが、この時の体験がなければ目は開いていても何も見えないまま、それでも一丁前のフリをして生きていくところでした。

実は、見るという行為は生易しいものではなく、これはどんな領域にも通じるものです。プロと素人の間には、分厚い壁があります。さらに職業的なプロと、それを凌駕するレベルとの間にも分厚い壁があるのです。

写真も絵画も、ビジネスも芸術もさしたる違いはありません。見えているか、見えていないか、それだけです。視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚、感情のツールのどの入り口から入っても行き着く先は同じです。よく物事が見えているなら、現状の仕組みに疑問を持たないほうが不自然です。

一切問題がない、完璧な仕組みなら文句はないですが、地球に住んでいる限りそもそも到達点が存在しません。だから、常に問題だらけです。不条理も不公平も年がら年中、普通に渦巻いています。人間は人それぞれ、見ている風景が違うのです。

そんな中にあって、既存の仕組みを固定することに懸命な人がいます。もっと良くしてやろうと、汗を流す人もいます。誰かの都合で固定した仕組みをわざと温存し、自分だけそれから外れて富の独占を画策する人間もいます。そんな人間の生き様が混濁して、1%と99%なんて状況が生まれても、まだこれまでの仕組みを誰かに押し付けたい人間がいるようです。

魂レベルの資質が違うかも知れない2002年以降に生まれた子どもに、20世紀の腐り切った仕組みの固定された評価を覚えさせて何の意味があるのでしょうか?それを正しく記憶しないとバッテンなどそれが教育なのでしょうか?

何かをやり遂げるのに、まずは固定化した価値観を記憶する必要があるのでしょうか?では、それを壊すにはせっかく積み上げた記憶を反面教師として全部無意味とは言いませんが、随分と寄り道が過ぎると思うのです。であれば、その間だけでも好きな遊びを気の済むまでやらせたらどうでしょう。

目が開いていない親が、子どもに人並みを基準にした価値観を当てはめると、子どもは消化不良、あるいは不完全燃焼を起こします。当たり前です。人間の子どもは羊にはなれないのですから。

地球にはそもそも到達点が存在しません。人間の意識が変われば、いままでにない新しい地平が見えて来ます。多くの人間が新しい地平を目指せば、宇宙には地球発の新たな想像=創造エネルギーが共鳴するでしょう。

あちら側の次元の霊人は、地球に住む人類の意識の拡張を目を見張って眺めています。現状に安住するタイプのつまらない人間には見向きもしませんが、そうでない人間の意識の有り様は注目の的なはずです。直接、間接に地球に住む人類にアクセスしたがるのです。

夢の中であちら側の世界で体験談を話す地球人は珍しくありません。誰しも子どもの頃には普通に行っていたのです。あちら側の次元に住む霊人は興味津々、教えて、教えて、私にも教えてと、集まってきます。

そこで、注意すべきことがあります。それは、教えないことです。そもそも教えられるモノなど存在していません。霊は共に体験し、共感し、ひとときの共有を楽しんでいるだけなのです。

28.1%企業と政治家・官僚の罪

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30.実は地球はスローモーションの惑星